1.11久しぶりに

ずいぶんと時が経ったように思う。

 

年が明け、朝焼け前の空では、鳥が幾度となく体を膨らませている。夜はクリスマスの頃より少しだけ短くなった。

 

私はといえば、いつの間にか大学生をやめ、安い賃金で働く社会人に様変わりしていたのだった。

今だからこそ言えることだが、バイトを長く続けるのはお勧めしない。心を追い詰めることに他ならないし、8時間働いて寝た方がよく寝られる。後ろめたく感じることもない。

何より、朝の寒空の色を知ったことが大きい。20年は朝に弱いことで悩んでいたのだが、どういうわけか就職を機にコロッと克服したのだ。

条件で妥協するくらいならと踏みとどまってしまう気持ちもよくわかるが、一歩踏み出してほしい。そうして初めて、自分の新たな面と出会えるのかもしれないと思って。

6.5今日は過ごしやすかった

今日は過ごしやすい1日だった

昨日あまり寝ていなくて、朝起きられるか不安だったんだけど、心配するまでもなく、母が起こしに来た

7時台にうなる体で目覚め、朝食を詰め込んだが、風呂に入る気はしなかったので、そのままバイトへ行った

数日前になって急遽入れられたシフトだったが、寝ぼけ眼で時計が見えず、気づけば2時になっていた

あと2時間、できるだけのやれることをして職場を出てきた

原付に跨る前に一考

今日は散歩に行きたいかもしれない

暖かく、いや少しテカテカと照らしてくる陽光を受けて調子づいた舗装路を進む

かつて通った小学校を横目に、池に浮かぶ鴨を探すが、いない

コンビニでポテトチップスを買って、小銭をポケットの中でチャリチャリ言わせて帰ってきた

心地よい疲労で微睡んでいたが、鳥の世話が何も終わっていなかったので、ささっと終わらせて、ご飯を食べ、2階へ

まだ太陽はぎりぎり沈んでいないようだった

西南の角部屋が私の寝床だ

窓から見える夕陽が美しい

少し目線を上げると、青焼けの空にキラキラと一番星が輝いていた

ずっとここから見えていたのだろうか

今のいままで存在すら知らなかった

また見てみようと思ったが、親がやってきて雨戸をピシャリと閉めていった

過ごし易い夕方の風も、締め切られてどこかへ散っていったようだった

5.29起きられない

いつからなのかは覚えていないのだが、朝型の人には到底信じられない程、私は朝に弱くなってしまった

もう何年も、いや十年ほどは悩まされていると思う

仕事のある日は起きられるのだが、休日は何度声を掛けて貰っても起き上がることができない

そもそも声をかけてもらったという事実がすっかり頭の中から抜けてしまうようなのである

完全に度を越している

そして、この事で私は日夜悩んでいる

 

仕事のある日に起きられるのであれば、怠慢でしかない、これが私の事情に下される一般人の反応だ

理解してもらえるなんて、到底思っちゃいないが、突きつけられるたびに自分の無力さを呪って死にたくなる

 

問題なのは、私が呼びかけに対して反応をしているということだ

意識が覚醒するまでに、幾度の呼びかけに対しまともに返事を返しているらしい

「はい」とか「わかった」以外にも、日常会話や馴染み深いことについての会話であれば、無意識の間に成立しているようだ

夢遊病に近いものを発症しているのではないかと冷や冷やしてしまう

 

忌々しい

嫌われてきた回数よりも多く、自身を叱責してきた

しかし、結果は伴わないので、誰も庇ってはくれない

 

まだ解決策は見つかっていないので、しばらくこの地獄のような朝(起きるのは昼頃だから朝とは言えないかもしれない)が続くのだろう

皆さんが今、健康的に朝を楽しめているのであれば本当にそれが羨ましく思う

そして応援したい気持ちでいっぱいだ

ぜひとも一回きりの朝を楽しんでいただきたい

5.26はじめまして

私のことを100%知っている人は未だ1人もいない

私のことを知っても、あまり意味がないというのが一番の要因ではあるが、

私にはあまりにも面が多すぎる

各分野で一流であるとか、百面相を操られるとかでは勿論ない

至って満足に一般人であり、人より少し恥が多く、こんな歳になっても学生の日記みたいなことばかり書き残しているだけだ

しかし、私には自我が多くなく、会話する段まで来てやっと、当たって砕けろの対話(といっても誰かが聴いているわけではない)をする

言語論的な障壁以前に誰かに届けたいものもない

本当に何のために口がついているのだか

 

思えばこれが初めの投稿だ

私の特徴には、「やけに話が冗長かつ行ったり来たりで要領をえない」

という短所の白眉みたいなものがある

多少、いや余程鼻につく文を見せられて飽き飽きするかもしれないが、持て余す時間があるのなら、ぜひ読んでいただきたい

これはあなたとの会話であり、私が書いているのは、その語りかけの一部に過ぎないのだから

 

しかし

最近のSNSでは、誰かをお勧めしたり、晒したり、食い荒らすことで人気を得るビジネス(趣味なのか?)が横行しているだろう

私はROM専なので、そう言った書き込みをしても、投稿して2分後に残っている物の方が少ない

ということで、あまり共感は出来ないわけだが、人を傷つけるような発信は敵を作るだけだ

敵を作るというのは人間社会において非常に非効率である

 

思うに、人間社会の多くの問題は相手を敵にする以前に起こっている

敵というものは、憎悪を生む

しかし、憎悪を含まないものの、酷く嫌味なアクションを相手が起こしてきた、ということは往々にしてある

その時は憎悪が原因だ!と思ったものも、大概は後で考えてみると全く関係がない

むしろ相手の気遣いであったり、無関心が起因していたということはよくある

相手が何を思い、嫌味な行動を起こしたのか、注意深く観察して、慎重にリアクションを返すことが、我々人間という大きくも小さいコミュニティを形成するものにとって、肝要というわけだ

この気の持ちようはあらゆる苦境に有効な手立てである

身近なトラブルの解決の際、持ち込んでいただければ幸いだ

 

寂しい夜、一人きりの昼、追われない朝、とにかくお供にしていただいてありがとう

縁があればまた