5.26はじめまして

私のことを100%知っている人は未だ1人もいない

私のことを知っても、あまり意味がないというのが一番の要因ではあるが、

私にはあまりにも面が多すぎる

各分野で一流であるとか、百面相を操られるとかでは勿論ない

至って満足に一般人であり、人より少し恥が多く、こんな歳になっても学生の日記みたいなことばかり書き残しているだけだ

しかし、私には自我が多くなく、会話する段まで来てやっと、当たって砕けろの対話(といっても誰かが聴いているわけではない)をする

言語論的な障壁以前に誰かに届けたいものもない

本当に何のために口がついているのだか

 

思えばこれが初めの投稿だ

私の特徴には、「やけに話が冗長かつ行ったり来たりで要領をえない」

という短所の白眉みたいなものがある

多少、いや余程鼻につく文を見せられて飽き飽きするかもしれないが、持て余す時間があるのなら、ぜひ読んでいただきたい

これはあなたとの会話であり、私が書いているのは、その語りかけの一部に過ぎないのだから

 

しかし

最近のSNSでは、誰かをお勧めしたり、晒したり、食い荒らすことで人気を得るビジネス(趣味なのか?)が横行しているだろう

私はROM専なので、そう言った書き込みをしても、投稿して2分後に残っている物の方が少ない

ということで、あまり共感は出来ないわけだが、人を傷つけるような発信は敵を作るだけだ

敵を作るというのは人間社会において非常に非効率である

 

思うに、人間社会の多くの問題は相手を敵にする以前に起こっている

敵というものは、憎悪を生む

しかし、憎悪を含まないものの、酷く嫌味なアクションを相手が起こしてきた、ということは往々にしてある

その時は憎悪が原因だ!と思ったものも、大概は後で考えてみると全く関係がない

むしろ相手の気遣いであったり、無関心が起因していたということはよくある

相手が何を思い、嫌味な行動を起こしたのか、注意深く観察して、慎重にリアクションを返すことが、我々人間という大きくも小さいコミュニティを形成するものにとって、肝要というわけだ

この気の持ちようはあらゆる苦境に有効な手立てである

身近なトラブルの解決の際、持ち込んでいただければ幸いだ

 

寂しい夜、一人きりの昼、追われない朝、とにかくお供にしていただいてありがとう

縁があればまた